モビールブログ · 8月 12, 2009

カリスマになる

カリスマになる、或いはカリスマを仕立て上げるという手はどうでしょうか。 努力、努力と頑張り続けたら成功する、というわけでもないのが人生の厄介なところです。

モビールにしても努力家が作ろうが遊び人が作ろうが、良いものは良くて悪い物は悪いのですから。

とは言うものの、カリスマになってしまえばいいとか悪いとかいう前にスポットライトが集中します。 本番で失敗してしまった実力者と好運に恵まれた金メダリストみたいなもので、それはアイドル であってもノーベル賞の受賞者であっても言えることです。仲間内では高く評価されているのに 一歩外へ出ると見向きもされない普通の人になってしまうというタイプの人たちがいます。 そんな人達は上手に人間関係をつくる訓練や堂々と自己表現することの訓練をすべきでしょうか。 した方がいいでしょうね。でもそれには長い時間がかかります。それよりも自分の才能を徹底的に 伸ばすことに専念した方がもっといいのではないかと思います。モビールでいえば目からうろこが 落ちるような動きを考え出すこと、“これがモビールになるの”というような素材を使いこなすこと、 “こんな手もあったんだ”と誰もが驚くような世界を創造すること、何でもいいから自分の頭で考え

自分の感性で表現する自分のモビールを極めることが、総ての始まりなのだと思います。

どんな分野にも洗練された技術や優れた作品があるものです。素人目には同じ作家のものかと思える ほどの作品の中に、何故か心に残るあまり優れていない作品があったりします。 ユーザーに認知され選択された分野の作品なら優れたものが商品として普及している筈ですが 優れた作品を投入しているにもかかわらず普及していないのであれば、実はその優れた作品は 優れていないのだということにはならないでしょうか。あまり優れていないのに何故か心に残る 理由を徹底的に調べてみる必要があることにはならないでしょうか。 コンテストの審査員が決めた採点規準に従っていては袋小路から抜け出すことは出来ません。 商品の審査員である消費者は、その曖昧でルーズで無責任で移り気な目にかなう本当のいいものを 作らないと合格点はくれません。つまり如何に作るかよりも何を作るか、言葉をかえていえば腕で勝負

するよりも頭と心で勝負しないと勝ち残れないのだと思います。

── カリスマになる ──

作るべき何かを提案出来る人のオーラは残っても、流れに従う沢山の優れた人達のそれは互いに 干渉し打ち消し合って、特定の個人名では記憶されないでしょう。 モビールは袋小路に抜け道をつくってあげられる、今までとは別の世界を見せてあげられる21世紀 仕様のリーダーを求めています。その人がおじさんであってもおばさんであっても、お兄さんや お姉さんであっても現れさえすればきっと、オーラを放つカリスマとして満場の拍手で迎えられる

でしょう。

では、どうすれば才能ある普通の人がカリスマになれるのでしょうか。それには世界の愛好家達に 対しても世界の作り手達に対しても、いいモビールを作って見せ続けるしかありません。 苦労や努力や功績を横取りする人が出てきても、“それは自分が以前に考えたアイディアだ”と 言い出す人が現れても、世界の前でいいモビールを作り続けていさえすれば、世界が真実の 目撃者になってくれます。唯ひたすらに美しいもの、楽しいもの、面白いもの、いやされるもの、

懐かしいもの、目を見張らせるもの、ほのぼのとするものを作り続けるしかないのです。

パフォーマンスが苦手で口数の少ないもそもそしたカリスマの周囲には以前より少し大きくなった 世界の仲間達の輪が出来ていることでしょう。イケメンでもセレブでもない普通の人が目指す カリスマの座は不毛の荒野のように遠くて厳しいかも知れませんが、人生を賭けるに価する 野心的なロマンぢゃないですか。もそもそしたカリスマの、アメリカンドリームを超える成功物語

なんて、もしもその頃まで生きていられるものなら何としても見てみたいものだと思ってしまいます。