モビールはJリーグ結成前後のサッカーにとてもよく似ています。川淵チェアマンが現役の選手と して活躍していた頃だって今より以上に強かったのに、野球はおろかラグビーやバレーボールと くらべてもきわめて注目度の低いスポーツでした。でも日本人はずっと以前からサッカーを知って いました。モビールはサッカーよりも昔から私達の身近にありました。竹やキビガラで作ったヤジロベー も含めたら、教育現場や子供のいる家庭ではごく普通に見かけるおもちゃでした。サッカーとの違いは
モビールの世界には川淵さんがいなかった、ということ位なのではないかと思います。
サッカーに限らずどんな分野でも良識ある人達は現状維持派です。失礼ながらもしもうまくいって いなければ川淵さんも坂本龍馬さんも目立ちたがりの調子者としてそんな人達から歴史のゴミ箱に 放り込まれていたのでしょう。同じような人は川淵さんや龍馬さん以外にも大勢いた筈です。 サッカー史のゴミ箱も、日本史のゴミ箱もそんな人達で溢れているのかも知れません。部外者に とっては唯のゴミにしか過ぎないそんな人達にも等しく川淵さんになれるチャンスはあったのです。 川淵さんにあって彼等になかったのは“俺がやらずに誰がやるんだ”という野心的でロマンチックな
使命感だけだったのではないでしょうか。
時の流れに身を委ね、政治が悪い、運が無い等と責任転嫁しながら周囲に合わせて生きる人生が99% の現実であっても、そして川淵さんの今は幸運に幸運が重なった稀に見る偶然だ、と言い聞かせて みても正直なロマンチストの本心を納得させることはけっして出来ないでしょう。そんな言い訳は臆病な
常識人の自己弁護にしか過ぎないことを自分自身が一番よくわかっているからです。
少なくとも日本では野心的な挑戦者などめったに出てきませんし、川淵さんにしても坂本さんに しても大勢のライバル達と競い合って挑戦権を手にしたわけではありませんでした。残念ながら 野心家も挑戦者も評価が低くて、可愛いロマンチスト達は街に溢れていますが、本物のロマンと 向き合う国際標準のロマンチストにはめったにお目にかかれないのです。それが世のため人の ためであれ、自分自身のためであれ、挑戦する野心家なんてカッコイイではありませんか。大胆に
荒々しく大きなロマンに挑戦する骨太のロマンチストを見たいではないですか。
ビッグバンのための条件はととのっています。火をつけるのは誰か、その名前さえ決まればこれほど までに遅れたモビール界のビッグバンを後世の評論家達がまことしやかに解説してくれます。 モビール界のパイオニアは成功するだけでいいのです。しかも今のところ競争相手のいないこの
レースでは走るのを止めさえしなければ成功するしかないのです。
── モビールをサッカーに重ねてみると ──