モビールブログ · 8月 12, 2009

モビール界の現状分析

結論からいえばモビールには需要も供給も市場もありません。供給側に言わせれば需要が無いから 供給出来ないのでしょうし、需要側の言い分は供給されない物にどうして需要がおこるのか、という ことになるのでしょう。当然のことながら客もいず物も無い市場などあろう筈がありません。その通り ではありますが、これには決定的な事実誤認があります。つまり本当に需要がないのか、本当に供給 がないのか、実はそう思っているだけで私にも本当のところはわかってはいないのです。かく言う私 自身が数10年間もモビールを作り続け、自分の店で売り続けてきました。では、それが即ち需要であり

供給であり市場であるということになるのでしょうか。

ゴルフのクラブヘッドについた泥は指で払います。顕微鏡を持ち出して完全にとれたかどうかを チェックする人はいません。この場合、ゴルフをしているのであって科学実験をしているのでは ないからです。同様に何処かで誰かがモビールを作り、それを売る店やそれを求める人がいた

としても、それは今此処でいう需要でも供給でも市場でもありません。

矛盾する二ツのことを合わせて真実に近づけてみると、こういうことになります。モビールには目を 見張るほどの可能性があるが誰もそのことに気付いていない、気付いているとしてもどうしたらいい のかわからない、わかったとしても自分でやりきる自信がない。つまりモビールはまだ趣味や道楽の 世界の冗談であって、普通の人達にしか出合っていません。世界の部屋を埋めつくすムービング インテリアとして商品化されるには100万人の普通の人達にわかって貰うより、1人の野心的で 有能なロマンチストにわかって貰わなくてはならないのです。近所のお店で求めることが出来るなら、 繭だけではなく様々な素材を使い様々にデザインされた様々な商品が供給されているのなら、 モビールは必ず“モビールのある風景”で紹介したように、普通の商品として普及していくに違い

ありません。

槍は棒に石や角の穂先を付けてスタートし、それをより速くより遠くとばすために改良されてきました。 鉄と火薬の時代には、鉛玉から爆裂弾へ、更には自走するロケット弾へと進化し続けました。種が あって芽が出て花が咲くように、花という需要を満たすには種から始めなくてはなりません。赤い 花を供給すれば青い花の需要がおこり、ぼかしや霜降りや形の大小とか茎の長短とか生育環境 への適合性とか、様々な需要が生まれます。蒸気機関車の時代にはリニアモーターの需要もエアロ トレインの需要もありませんでした。夢や憧れならともかく、需要は現実がなければ生まれません。 無いのは需要でも供給でも市場でもなく、潜在的なそれらを顕在化させるための働きかけなのだ、

と信じています。

その意味で商品としてのモビールは、まずは生まれなくてはなりません。無い袖は振れないように、 無いモビールに需要がある筈はないのです。それに万が一需要があったとしても、市場がなければ 満たされない需要はその場限りで枯れてしまいます。経済的に意味のある需要と供給は自然に循環 するサイクルになっていなくてはなりません。需要と供給とをつなぐ流通ルートがなければ、芽吹いた ばかりの弱小な供給者は商品を世に出すことが出来ません。こうして需要も供給も花を咲かすことなく 枯れ続けて今日に至りました。私が細々と作り続け販売し続けているように、モビールは絶滅危惧種

ではありながらまだ生き続け、生き残っているのに・・・です。

── モビール界の現状分析 ──

 私はこれまでモビールが無いことを繰り返してきました。しかしインターネットにはかなりの数の  モビールに関するホームページがあります。特にアメリカでは平凡なものから理解出来ない芸術  作品風なものまで沢山のモビールが作られているようです。その中から商品として認められる  新しい流れが生まれてくるのでしょう。でも私にはまだ試作段階のように思えます。自分の目で

直接ご覧になってみて下さい。