一方、ビッグバンを仕掛ける人間の側について考えてみれば、成功して注目をあびて大金持ちに なれたら最高なのですが、仮にそうはなれなくても爽やかな人生を送るためであれ爽やかな社会を つくるためであれ夢を見ること、夢を実現するために汗をかくことの大切さは、どんな言葉を使っても
言い尽せないほどに大切です。
個人と一緒に社会も爽やかな汗をかいてくれたら嬉しいでしょうね。でも他人を意のままに動かすなど ヒットラーやスターリンでもなければ出来ることではありません。だから出来ること、つまり自分自身を ビッグバンさせることによって思考と行動の範囲を拡げ、事実と真実のありのままの姿を見極めること
から始めなくてはなりません。
“現実を直視しろ”という言葉は夢や理想を追い廻すよりも目前の小さな問題を一ツ一ツ解決していく ことの大切さを教える意味で使われてきたのでしょう。これまでの世の中にはそんな浮かれ者が 多かったのでしょうか。それともそんな警告を必要とするがんじがらめの世の中だったのでしょうか。 それとも、それとも、もしかしたら群から飛び出そうとする意欲と能力のある者の足を引っ張るために 使われてきたのでしょうか。能力が正しく評価され努力が賞賛される社会でないと、良識ある無能な 人達がはびこります。歌を詠むのも故事来歴に精通するのも結構ですが社会や人類全体にとっては 何の意味もない一部の人達の戯れごとです。もしも多少の意味があるとしても、もっと大切なしなければ
ならないことをしてからの話でなければ許されることではありません。
── 人生のビッグバン ──
現実は直視しなくてはいけません。ただしその現実は江戸時代や明治時代のそれではなく21世紀の 現実の現実でなくてはなりません。今私達をとりまく現実は、ほとんどの呪縛を解かれてかつて経験 したことのない自由な環境を実現しています。にもかかわらず、私達の周囲には同じように悩み、 同じように笑い、同じように行動し、同じように考える江戸時代のパターンが生き残っているかのように 思われることがあります。現実は足下を見る時代から遠い山の稜線のその又向こう側を見る時代へと 移ってきました。グローバルスタンダードの時代には国も個人もトップグループにつけていないと置いて いかれてしまいます。底辺で可もなく不可もなくうごめいていれば神様が幸せな世界へ誘ってくれる
時代はもう終わってしまったのです。
日本も世界も遠からず価値観を底辺から大変革する時がくるでしょう。でもそれを待つまでもなく 自分自身の思考パターンを少しずらしてみるだけでも、今まで気づかなかった何かが見えてきたり 今まで気にも止めなかった何かがとても大切であることに気づいたり、より豊かな人生を実現する
ためのクリエイティブな考え方を身につけることが出来るのではないでしょうか。
モビールのビッグバンは唯それだけの話ですが人間のビッグバンは150億のニューロンの活動 パターンを変えることを意味しますから、そこから生まれて来るものはとても想定内には納まり ません。地位や名誉は限られた場所にしかありませんし、うまくやれば偽者でも手にすることが 出来ます。しかし智恵は世界のどこにでもある反面で本物でなくては通用しません。 ガリレオも私達も水平線に消えていく帆船を見ていました。ニュートンも私達も樹から落ちる リンゴを見ていました。彼等は私達より目がよかったのではなく頭がよかったのです。 ニューロンの数が多かったのではなく、活動の範囲とパターンを決めるフィルムが1枚余分に 入っていたのです。そしてそれは気がつきさえすれば私達にも可能な誰でもが手にすること
の出来るごく普通のフィルムにしか過ぎないのです。
キリストでもムハンマドでも天皇でもそこらのおじさんやおばさんでもいい奴はいいし、嫌な奴は 嫌なのです。誰かが決めた立派な人生をなぞって生きるより、自分が決めた自分の人生を 生きたいではないですか。笑うべき時に笑い泣くべき時に泣くよりも、笑いたい時に笑い 泣きたい時に泣きたいではないですか。楽しみながら、ほほ笑みながら、しゃかりきになって 汗をかく深くて大らかで優しい強者を見たいではないですか。 腕のいい人も頭のいい人も腐るほどいます。そこで勝ち残るのは抜群に腕も頭もいい人だけです。 一方、野心的なロマンチストなんてめったにいませんしそこで勝ち残るのは、腕も頭も普通の、 汗をかき続ける夢追い人だけです。挑戦して失敗して、爽やかに頭を掻こうではありませんか。 誰にも気づかれず誰にも拍手されなくても報酬を得られなくても、自分の内面に輝く金メダルの
重さを感じながらニッコリ笑ってガッツポーズをきめようではないですか。
モビールのプロと人間のプロを目指す野心的なロマンチストへの、これが私のメッセージです。