野心的なロマンチストへのメッセージ
野心的なロマンチストは無謀な冒険者を意味するものではありません。不毛の荒野に緑の 楽園を夢見て誰もが気づかない小さな兆候に目配りし、あらゆる情報や条件に気配りして ほんのわずかな可能性のために惜しみない汗を流し、失敗しても得難い経験に感謝の思いを 込めて爽やかに退場するマンガのヒーローみたいな快男児(女性も可)のことを、こんな言葉で
表現してみただけのことです。
モビールには大きな可能性があります。しかしこれを動かすには膨大な力が必要です。 他の何かであれば大勢の人達と一緒に既に動き始めているそれを押すだけのことですが モビールの場合は少なくとも初期段階では止まっているかのような、行きつく先もわからない 大きなものをたった1人で押さなくてはなりません。何事によらず転がり出せば後はそれほど 力を入れなくてもいいし、それまで見向きもしなかった人達まで先を争って押し手に加わって きます。後から加わる人達の先頭にいるのが一番利巧な位置どりです。商売上はその通り でも、そんな利巧な人達ばかりでは何事も始まりません。私が野心的なロマンチストに期待 する理由もそこにあります。しかし誰か調子のいい人がこれを読んで“そうだ!そうだ!”と わけもわからずに走り出し大怪我をしてしまっては大変です。というわけで最初に私のちょっと
した経験をお話してから、ということにしましょう。
(経験 その1) 私がまだ青年だった頃、勤務する会社の方針で九州の中部高原に別荘村をつくることになりました。 初めて聞くマンションとかレジデンスとかいった言葉に夢のような憧れと新鮮さを感じたものです。 若造だった私の仕事はベテラン設計士の世話役というか監視役というか、とにかく何もすることが なかったので、いつも彼等と一緒にいて話相手になったり、夜になれば東中州で息抜きの相手を
したりといった役廻りでした。その時に聞いたのがこんな話です。
鉄道の枕木を最初にコンクリートで作ったのはMさんだ、というのです。当時満鉄(満州の国鉄 みたいなもの)にいたMさんが、凍裂する枕木をコンクリートで代替したのが始まりだ、ということ でした。Mさんが連れて来た部下の話なのですが建材としてのコンクリートブロックを作ったのも 彼が初めてではないか、と言っていました。満州帰りの繊細な豪傑とでもいった雰囲気を漂わす 大柄なMさんのことを、その部下は、とびっきりの智恵者で稀に見る天才だが先を走り過ぎた、
もう少し遅れて発明していれば大金持ちになれたのに、と言っていました。
(経験 その2) 私が宝塚から嵯峨に戻ってきて7〜8年たった頃若い人達の友達作りの手助けをしよう と思い立ちました。初期投資に1000万円か2000万円準備すれば後は自分が手を 引いても勝手に廻っていくだろう、と思っていました。数年後には名乗り出てくれた仲間の 数が36000人にもなり連絡文書を送るだけでも大変なお金が必要でした。色々あって 1億円ほどが消えてしまい、私の夢も銀行からの借金だけを残して消えてしまいました。
その時に某有名新聞社の支局長をしていた大学時代の後輩に言われたのがこんな話です。
マスコミは“物質至上主義の時代は終わった、これからは心の時代だ”と言っているが、もしも 本当にそうならテレビも新聞もそんなことには触れもしないだろう。“先輩ッ、あなたの構想は そうなってからスタートさせないと痛い目に合いますよッ” 賢明な後輩の忠告に逆らった私の
結末は、彼の忠告通りとなりました。
コロンブスよりもずっと以前にアメリカ大陸を発見していたバイキング達も、更に以前に発見して いたモンゴロイド達も拍手や報酬を受けることはありませんでした。メイフラワー以後の入殖者達 の価値観と、アメリカ先住民に限らずそれまでの長い人類史の底流にあった価値観との間には 正義とか信義とかいった抽象的な概念だけでなく人生論的な、というか哲学的なというか人が
人として生きるためのルールみたいなものに、つながりようのない段差があるような気がします。
ある時代、ある地域に住むある人にとっては卑怯で許しがたい行為でも時代や人や地域が 変れば賢明で鮮やかな行為だったりします。それを予見して対策を練り必要な準備をして おかないと、単なる天才や単なるロマンチストで終わってしまうような気がします。野心的な ロマンチストに対して私が言いたいのは進化論のダーウィンの前にはウォーレスがいたし DNAのクリックとワトソンの周囲にはウィルキンズやフランクリンがいたし、ニュートンとか アインシュタインとか、突出した一部の天才を除けば、極めて高いレベルでのドングリの
背くらべで歴史は誰かの名前を刻印してきた、ということです。
かつて科学も冒険も事実や真実を追い求める清々しい人達のフィールドでした。でも、あからさま には言わないだけで今では詩や歌や教育や宗教までそれぞれの言い分を数%含んだビジネス でしかないことを誰もが知っています。仲間だと信じていた共同研究者に足をすくわれたり 出し抜かれたり、」富や名誉に対する意識の違いがその後の人生の明暗をくっきりと分ける時代 であることを、クラシックで多少すばしこさに欠ける敗者達が教えてくれています。早過ぎる スタートは致命的な失敗の要因でもありますが、遅れてしまうと組織力や資金力や知名度や 人脈を持ち一瞬の後ろめたさよりもその後に続く永遠の栄光を尊ぶ、冷徹な合理主義者に
呑み込まれてしまいます。その辺りが思案の仕処ということでしょうか。
まずはこんな前置きをしてから本格的に私のメッセージを送ることにしましょう。