インターネットで検索してみると携帯電話や自動車がらみのホームページにまじってデンマークの モビール屋さんが登場します。日本にもいくつかのホームページがありますがそのほとんどは このモビール屋さんの商品を紹介するものです。一方アメリカではかなりの数の作り手達が 自分の商品や作品を紹介しています。私の感想は、デンマークの場合は商品としての完成度は
充分に高いがイメージに幅が少なく、子供をターゲットにしたビジネスのように見受けられました。
アメリカは、といえば誰かのまねをして似たようなものを作っている人もいれば、わけのわからない ものを作ってとんでもない値段をつけている人もいれば、思わず見入ってしまうほどに洗練された ものもある、といった具合で、その雑然とした印象はお国柄と言うべきか、黎明期の混乱状態にある
と言うべきか、正直、言葉を失ってしまいます。
デンマークのスタイルでは大人の世界に受け入れられないでしょうし、アメリカはもう少し整理整頓 しないと、いいものまでが埋没してしまい、モビールそのものの信用を失ってしまうのではないかと 心配です。そこでわれに返って両国を眺めて見ると、それぞれにビジネスチャンスが潜んでいるように
思えます。
── 横文字で始める ──
日本にでさえ販売網を拡げているように見えるデンマークのモビール屋さんは自国は勿論のこと 周辺諸国にも手を伸ばしているに違いありません。既にルートをつくり市場をつくっている彼等の それを利用させて頂けたら、ことはいたって簡単です。ターゲットが違えば互いに競合する心配も ありません。もしもそうはさせて貰えないのなら自力で商品を投入し、市場の判断に委ねれば いいだけのことです。完成度は高くても、紙や木の板やプラスチックを打ち抜いて二次元の絵柄で
表現する彼等のモビールは、さして手強い相手であるとは思えません。
アメリカは情報量と作品の種類は多くても商品と呼べるほどのものはまだ出来ていないようです。 吊り方も吊る物も元祖の作家のそれを踏襲しているだけで、クリエイティブな発想に欠けている ように思えます。反面では100万円もする鴉の巣みたいなのがあったり、カンナ屑みたいに カールしたステンレスのがあったり、誰がどんな所にどんな目的で吊るのだろう、と不思議に 思えるようなモビールもあります。しかし考えてみればどんな商品でも生まれてくるまでには 様々な過程をくぐらざるをえないのでしょう。モビール誕生前夜のアメリカは、そこに参入して 勝負する絶好のチャンスなのかも知れません。大きさや奇抜さではかなわなくても、市民に受け
入れられるかどうかの勝負なら勝機は充分にあります。
パソコンを操作出来ない上に横文字を読めない私が写真を見ただけで言うことですから、思いっきり 割り引いて読んで欲しいのですが、やはりデンマークでもアメリカでもビッグバンにつながるような 商品としてのモビールはまだ誕生していないようです。 技術力もデザイン力も挑戦する意欲もあるのにどうしてなのか、と思ってしまいます。でも日本人に 限らず、人間とは元来そういうものなのでしょう。誰かが方向性を示すまでは誰かが示した方向性に 従って進むしかないのかも知れません。原点に戻って “モビールで何がしたいのか” そもそも “それをするためにはモビールでなければいけないのか” という所から始めないと、ひたすらに 袋小路を突き進んでいるだけ、みたいに思えてしまいます。レッドウッドの森やロッキー山脈や プレーリーやフロリダの海やトム・ソーヤを連想させるミシシッピーや、雄大なアメリカに抱く期待が
大きいだけに“頑張ってね”と声をかけたくなってしまいます。
それは私にとってもアメリカにとっても悲しい話ですがナンバーワンを目指す日本の野心家に とっては願ってもないチャンスです。今のうちにアメリカという巨大市場に足場を築いておけば 少なくとも世界選手権試合に挑戦するチャンス位は与えられるかも知れません。 作り手達に対してもユーザー達に対しても独りよがりではない商品としてのモビールへ至る道を
示しておくことがとても大切であるように思えてなりません。
ここでちょっとモビールから離れて人跡未踏の山に迷い込んでしまったと思ってみて下さい。 そこから抜け出すには獣道をたどるしかありません。そして次に迷い込んだ人も同じ道を通って 抜け出します。10人が通り、100人が通れば何となく道らしい道になり、今度はその道を利用して 何かをしようとする人達が通り始めます。通る人が多くなれば道は舗装され、道路標識が立てられ 地図にも掲載されるでしょう。よほどの事情がない限り、道はいったん出来てしまえばそこを通る しかありません。アメリカ全土のモビール愛好家達が往来するハイウェイも最初はこんな事情で 始まるのかも知れません。ビジネスとしてのモビールを考えるのなら、獣道さえどこにあるのか わからない日本でスタートするよりも、デンマークやアメリカで勝負する方が早道なのだと思います。
それに欧米で評価された商品なら、日本は比較的簡単に受け入れてくれます。
モビールが普及しないのも大人の商品になりきれないのも、日本の才能が荷担しない故なのでは ないかと思っています。精緻な技術を育み続けてきた日本の職人さん達と誰がどうつながるのか、 今まさに消え去ろうとしている伝統の技術をどう継承していけるのか、現代の最先端は誰もが 思いつきどこにでもあるモダンアートではなくて、タイであれインドネシアであれラップランドであれ 当り前のようにして日常にあるオリジナリティの中にこそ潜んでいるに違いないと思っています。 何もかも失ってしまったかのような不毛の荒野にも、私達が気付かないだけでキラリと光る先人達の
残した宝物が埋もれているのかも知れませんよ。